3息子、みんな同じように競泳をしているのですが、最近、よーく観察してみると、「いや、違う。みんな全く違うことをしている」と思うようになりました。
長男→ 競泳をしながら競争をしている。彼の人生は競争そのもの。誰かより速い、早い、強い、大きい、うまい、多い。その為の努力は何だってする。早起きだって、自主トレだって、退屈なことだってなんだって。隣の奴と競い合って勝つため以外に練習する意味はない。
そして、次男→ 競泳をしながら作っている。泳ぎのフォームという凝った芸術を作っている。練って、こだわって、納得するまで試している。誰にも口出されたくないし、急がされたくない。俺の作品に磨きをかけているだけ。辛い練習をして感性を鈍らせるより、寝るときは寝て冴えた頭で臨むのがベター。コーチからはっぱかけられてもスルー。
最後に三男 → 競泳をしながら楽しんでいる。楽しいかどうかが基準なので、大会に誰が来ているか、練習でコーチや友達とどんな絡みをしたか、練習が特別に水中ゲームや水球だったら最高。今やれることの中でより楽しいかもしれないことが練習だから行っとこうかな(家はつまらんしな)
こんな感じで
3人3様、本性が見えてきました。
なので、競泳でなくても、ほかのスポーツでもそうだろうし、何をやってもこんな感じだったんだろうなあと。
同じ親からこんなに違う人たちが産まれるものです。彼らの生きる姿やエネルギーを、できるだけ、ありのままの天然素材として社会に送り出せればと思います(放置育児ともいう?!)
No. 4のじき5歳になる娘も、ピンクのゴーグルを時々つけて、ベッドの上で泳ぐ真似をしていますが、同じように泳ぐつもりでしょうか。この子は何をしに泳ぎに行くのか、、ひとまず、三男ができることは出来とこうと思い込んでるところが頼もしいといったところです。