今年はほとんど期待していませんでしたが、夏の水泳の練習も大会も結局元に戻って、通常通り開催され、親もボランティアで参加できるので久しぶりにチームの子たちの泳ぎをじっくり見ることができるようになりました。
夏は5歳から18歳までの子供たちが、みな同じこと、プールの端からは端まで泳ぐ姿を一挙に見ることができます。水泳を始めて間もない子から、何年も仕事の様にトレーニングに通って鍛錬している子たちまでとにかく様々な泳ぎを見ることができる中で、とびぬけて上手な子を観察していると、まるで、水上ボートの様に見えることがあります。あなた、体のどこかにエンジン積んでるんじゃない?と。
でもなんでそう見えるんだろうと考えると、速い泳ぎなのに、それでいて静止している部分があるからなのかなと。静かに速いという感じで、水も応援してすいーっと運んでいっているように見えたりもします。
そして泳ぐ前と泳いだあとの表情を見ると、自信に満ちている様子が伝わってきます。
きっと自分の泳ぎに集中しているレベルが違うのかもなーという発見をしつつあります。
一生懸命頑張ってる子でも、横のレーンの子がどうしているか、自分は勝っているのか、あの子に負けていないだろうかとか、タイムが縮まらなかったらどうしよう、などという気持ちで焦っている場合もあります。「あいつより速く泳ぎたい」まあこれが原動力になっているのはどの子も同じなんだと思うんですが、そのために自分の泳ぎに集中するか、周りへ気が散ってしまうことのどっちが上を行っているかで良い泳ぎになるか、心が乱れて泳ぎに出てしまうかに分かれてしまうという世界。
もともと運動能力があり最初から伸びて活躍することもいますが、どこかでこの壁にぶつかって伸び悩む子も少なくなさそうです。でも、それでも変わらず淡々と練習をし続けて行った結果いつしか焦りや不安がなくなってすごく集中できる境地に戻ってきたときにまたググっと伸びてるなーというか、そういうドラマが見えるんです。←妄想が入っているかもしれませんが、おばさんになってくるとこういう部分はついジーっと観察してしまって見逃せません。そして、一人妄想をしてウルウルするという・・。
そういうことで、結局水泳も、競争している様で、誰が一番精神統一していたかの発表会なのかなと見ています。
練習の量や努力、コツを取り入れることなどももちろん大事だと思いますが、最後の仕上げは、やっぱりマインドかと。
書道、華道、弓道、柔道、武士道(?)、いろいろありますが、泳道という言葉もそろそろできてもよいかな~と思ったりしています。
見えない部分を整えてから、パフォーマンスとして表現する。
これをやってるんですね、スイマーたちも。
四角い箱の中で白熱して泳ぐ、いったい将来何の役に立つのかと思ってしまうような競技、されどすべてに通ず。
良い泳ぎを見るとブルブルっと感動し刺激をうけて帰ります。ボランティアをしてますが、逆にお土産をもらっています。