夏休み2021もペロッと1カ月が過ぎ、
年中から中3までのヒマヒマ族が4人、学業のしばりもなく、家の中をウロウロしている日々です。
毎年この長い長い自由時間たっぷりの夏休みは1種の恐怖でしたが、今年の夏は一味違います。
テーマがはっきりあるのです。それは、ずばり、
じゃじゃーん。
「野生の感を取り戻す夏。」
といっても、私がやってることはこれまでと同じ。
話し合って決めた電子系の時間(ゲーム時間)は徹底的に取り締まる。
以上。
あとは、やりたいということはサポートするけど、必要以上には与えず、本人たちが
ひまで苦しんでいる姿を見てもあわてない。なるべく放置。
そして、もだえきってヒマ死にするよりはましだと思いついてやりだすこと(ボードゲーム、ピアノ、読書、じゃれあい、工作)を見て、ニマニマする。
私がやりたいこと(テニス)には私がやりたいときに誘って、のってきたら巻き込む。
はい、そうです。いままでと同じ意地悪かーさんです。
ただ今年は、これでいいのだ!というブレのない境地。
この数年観察してきましたが、やっぱりなんていったって、コンピューター時間の多い日々と、少ない日々では、目の輝きが違うんです。ネットで刺激的なエンタメを得ることについつい磁石のように引っ張られてしまい、それに慣れすぎてしまうと、その刺激を受動している時間があたりまえになって、コントロールできなくなってしまいますが、それから無理やりでも遠ざけると、最初はもだえてあがきますが、しばらくすると諦めて、自分からあほなことでも、くだらないことでも、なんでもいいから思いついて遊んでみる、お互い笑わせあったり、自分からおもしろいことを生み出す力で遊び始める姿が見え始めるんです。
子供たちの友達は、スマホも与えず、ネット時間も短くさせている私をクレイジーマムと呼んでくれているそうですが、そんなこと言われたって、「よそはよそ。うちはうち。」でございます。
長男は、近所の芝刈りをして稼いだお金で買ったマイパソコンを持っているので、Wi-Fiが無限に使えてしまうこととの兼ね合いが難しく、口約束ではうまくいかなかったので、「決められた時間以外のWi-Fiは利用時間x1ドルでお買い求めいただけます」ということにしてみたところ、
大事なお金と天秤にかけてなんとか自分をネットの魔力から引き剥がして帰ってきます。(大人だって、車の運転でスピード違反したときなどに課せられる罰金があるから大抵の人がルールを守れるんですもんね。)
もちろん、言ったからには私も自分を棚に上げるわけにはいきません(汗)
ネット時間は、子供たちが起きてくるまでの時間に事務作業をして、彼らがゲームをしている時間に好きなYoutubeを見たら、その他の時間は私の携帯も彼らのディバイスと一緒に隔離します。
するとあら不思議、遠くに置いていると取りに行くのが面倒くさくなって、トータルの携帯使用時間は減り、五感を使う時間が増えてきます。
携帯で連絡をとらなくても、知人友人とばったり会ったり、たまたまプールや公園で会った人たちとじっくり話をしてみたり、自然を観察したり、子供たちの手前ではありましたが、オフラインを確保してみることで野生の感を研ぎ澄ますのも悪くないなーと思う今日この頃です。