Swim Mom 日記

くまもと出身、アメリカ東部在住。水泳好きな息子たちのおかげで競泳ワールドを覗いています。

agree to disagree ~ビタミンDシロップ事件で学んだこと~

 

コロナワクチンをめぐって、世界がパックリと割れ、二つの新しい宗教ができたのではないかと思えるような状況になっています。

 

パンデミック下で子育てを協力しあいながら近しくして親子共々仲良くしていたファミリーとも、あれよあれよという間に方向性が分かれてしまいました。まさか、のことです。

 

いったいどうなることやらと、途方にくれる気持ちでいましたが、

 

ふと、とある出来事を思い出し自分を留めることができています。

 

その出来事とは、「ビタミンDシロップ事件」。

 

そんな事件あったっけ?と思われるかたもいると思いますが、それがあったんです。

 

14年前の我が家でですが笑

 

14年前なので長男新生児育児真っ只中。どういう事件だったかというと、

その名の通り、「長男にビタミンDシロップをあげるかどうか」ということについて夫婦間で意見が分かれ、亀裂が入りかけたという、まあ、どこの家庭でも起こりそうな育児あるあるでございます。

 

方や、新米パパの夫は、ドクターのアドバイスをちゃんと守って、長男の順調な成長のために毎日1mlのビタミンDシロップをあげるべきだと主張し、

一方私は、産まれたてほやほやの赤ちゃんだった長男がシロップを口に入れられた時の反応を見て、「こんなにまずそうな顔してるじゃないの~」と、脳に危害が出るのではないかとか、シロップにつけられている黒い色と、香りの成分(ドギツイさくらんぼの匂い)を、まだ母乳しか飲んでいない赤ちゃんの体内に入れたくないと主張した結果、意見が対立したわけです。

そして、お互い頑固なので、自分の主張をなかなか譲りません・・・。(私たちをご存じの方々はお分かりになると思います汗)

 

毎日、一日中長男の世話をしていた私と違い、仕事に行っているので一緒に過ごす時間は少ないけれど父親として何かしてあげたいという夫の気持ちもわかりましたが、その時は私の子供を守りたい母性本能はマックスなわけで、とにかく生理的に嫌なものは嫌と、細胞から拒否していましたから、その逆を正しいと主張してくる夫は、鬼か何かに見えました。あっちも、おそらく私のことを、初々しい新婚妻から豹変した、ヤマンバか何かに見えていたことだと思います。

 

ですが結局、どうしたかというと、お互い折れもしませんでしたが、決裂もしませんでした。あげたい人はあげる、あげたくない人はあげない(あげられているところは見ない)ということでやってきたわけです。

 

表面に出てくる意見、方針は真逆に見えても、根底の気持ちは同じ。熱量は同じ。

お互い「長男の将来のため」だったということに気がついたからです。

やり方が合わなくても、相手は相手なりの思いがあると。

 

あらためて14歳の長男を見ながら、あのビタミンDが効いたのか効いてないのか、そんなことはわかりません。あげたからこうなったのか、あげてなかったらもっとこうだったのでは?なんて考えてもわかりません。

 

ただ一つ自信を持って言えることは、14年前のあの時に意見の違う夫と決裂していなくてよかった。ということです。夫の気持ちを無視して自分の主張を押し通したりなんかして、信頼関係を失っていたり、最悪、バラバラになったりしていたらと思うとぞっとします。なぜなら、夫なしでは今の長男はありえないから。コツコツと働き、誠実で、冷静で、忍耐強いこのパパと協力して子育てをしてこられたからこそ、今ここに長男、次男、三男、そして娘がいるということだけは間違いないということです。

もう、こう考えると、あのビタミンD事件なんて、私たちの子育てヒストリーの中ではまるで、”広大な宇宙の中のチリ”のような存在。その後やってきた、チャレンジ、喜びを一緒に乗り越えて共有できたことで99.99999パーセントをしめています。

 

ビタミンDをあげないことが仮に「正解」だったとしても、

正解を主張して夫婦の中で対立をし続けることで毒々しい空気に子供をさらしているほうが、トータルのデメリットが大きい。

そう判断して、agree to disagree にたどり着けたこと、14年たってみて、それこそが正解だったといえる気がします。

 

なのでこの経験は、まさに今の事を乗り切るうえで、個人的に大きな心の支えになっています。

 

 

現時点でアメリカでは12歳までの接種が可能で、成人の接種ピークが過ぎたところです。

 

私の周りでも、受けた人、受けない人がはっきり二分されている感じですが、受ける理由、受けない理由にも幅があって、

 

たとえば、受けた人だと、

・感染自体がが怖いから

・他者に感染させたくないから

パンデミックで起きた経済活動を早く再開させるため

・どっちでもよかったけどなんとなく

・ワクチンは全部受けることにしている

 

などを聞きました。

 

また、受けない側には

・安全性がわからない

・ドーナツやお金を配ってまで受けさせる政府のやりかたに疑問を感じる

・すでにコロナにかかったから自然免疫があると思っている

・そもそも、コロナにならないと思っている

・ワクチン自体すべて断ってきている

・こういうことは素直に従ってはだめだと思っている

 

などなど。さっきは二つの宗教の様と言いましたが、二つだけではないですね。

 

徐々にワクチンのネタはデリケートでタブー視されつつある感じもしますが、今のところ政府・メディアはワクチン接種を推し進めているので、打たない人が肩身が狭くなるようになっています。

 

でも、思うところ結局ワクチンうつかどうかはリトマス試験紙であって、

もともとの自分の考え方が反映されているといえるのかなと思います。

 

ここまで読んでくれた方なら、私が受けないと思っていることは薄々気づいているかと思いますが、私もどうして受けない方向に定まったのか、客観的に考えてみたところ、

三男のアトピー、アレルギーが大きくかかわって、個人的な体験とリンクするからなんだろうなと結論付けています。

 

三男は生後2カ月目から、重度のアトピー性皮膚炎で、常に体中が真っ赤、顔や頭をかきむしる日々を過ごしてきました。病院をハシゴし、専門家に会い、ネットで原因を調べたり対策に走り回って、とにかく悩ましい赤ちゃん時代で、2歳までの写真がほとんどないという過去を持ちます。少しずつ改善しましたが、アトピーの原因になる食品の除去や、食物アレルギーもあったので、買い物に行く際は常に、パッケージの裏の成分表を見るという習慣がついていて、何を食べたら今日はかゆいのが強いだの、あれには何が入っていたから、こんな反応が出ただの、免疫を高くするためには、あれをやめて、あれを取り入れようという会話は日常のことになっていたという個人的な体験が大きくかかわっているのだと。なので、体に何かを入れるということに対するセンサーが普通よりも敏感で、慎重な姿勢の方が、社会的に理にかなっている行動するということを超えてしまっているとの分析です。

 

世界は受けることが正義という流れなので、今でも受けないでいる私たちは、頭がおかしくなってしまったのではないかと思われていると思いますが、こういうケースもあるということで。

 

きっとそれぞれ違うストーリーがあり、リンクが強い方を選ぶのかと思いますので、個人同士で踏み込めるものではないかもしれませんね。

 

 

大事なことは、これからどうするのか。未来の子供たちの為に、協力してやらないといけないことは山ほどあること、これに集中していくっきゃないというところでしょうか。

 

最後に、例のお友達家族ですが、私たちの、ワクチン接種をしない選択を尊重してくれて、カミングアウトしたあとも、それでも変わらずつきあってくれています。もともと大きな心の持ち主ですが、その度量に感動して、あらためて敬服しています。

 

溝はできることもある、でも、その溝がある分だけ、愛が作られる原料になる。

 

さて今日も、出会う人がワクチンを受けた人でも受けない人でも、その人がなぜそうするのかという「Why」からくる「熱量」にときめいて、一日を過ごせますように。